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東京地方裁判所 昭和32年(レ)120号 判決 1958年12月17日

控訴人 倉本泰光

右代理人弁護士 山岸文雄

被控訴人 東邦貿易株式会社

右代表者 中川喜次郎

右代理人弁護士 光石士郎

篠原千広

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、被控訴人が別紙目録第一記載の宅地八九坪六合七勺(以下甲地という)の所有者であること並びに控訴人が昭和三〇年五月一五日以降右甲地のうち右目録第一記載の土地約四合(以下、本件係争土地という)上に同第二記載の看板を設置して同土地を占有していることは当事者間に争がない。

二、控訴人は、右占有は次の各理由によつて正当であると抗争するので、以下順次判断する。

(一)先ず、控訴人は、「本件係争土地には古くから次のような慣習があつた。すなわち本件甲地及びその北側の東京都中央区日本橋室町一丁目八番の二八宅地四四坪七合八勺(別紙目録裏面記載の図面参照。以下、本件四四坪七八の土地という)等は、もと訴外紀屋の所有に属していたところ、右紀屋は明治、大正の頃他に右四四坪七八の土地を賃貸するにあたり、本件甲地内の北部に別紙目録記載の図面の如く巾約一米七〇糎の私道を設け、右賃借人のうち四四坪七八の土地中公道に面せざる部分の賃借人の公道への通行等の便宜を図つた。爾来紀屋より右の部分を賃借した賃借人は、右私道を通行するとともに、私道が公道に面する部分すなわち本件係争土地の上に各その営業を表示する看板を設置し、これが同所における多年の慣習となつたのである。ところで、控訴人は昭和二五年一〇月頃前賃借人訴外岡野光雄から本件四四坪七八の土地中公道に面せざる部分三三坪五合五勺の土地(別紙目録記載の図面参照。以下乙地という)の賃借権を、土地所有者たる前記紀屋の相続人幸島市右衛門の承諾を得て譲り受け、同所で商店名メリツトなる毛糸店を経営し始めるに至つた。そこで、控訴人は上記慣習に従い早速にも本件係争土地上にその営業を表示する看板を設置したかつたのであるが、そのうち同所には、右幸島市右衛門からその所有建物の二階を賃借し、本件甲地上において上記私道に面して歯科医を開業した訴外フタバ歯科(代表者熊谷某)がその営業を表示する看板を設置してしまつた。ところでその後、右幸島は昭和三〇年一月頃、本件甲地を被控訴人に、本件四四坪七八の土地を訴外早野良太郎に売却し、被控訴人が甲地の所有者になるとともに、控訴人は乙地の新所有者早野から引き続き乙地を賃借することになつたところ、同年二月頃前記フタバ歯科が同所より移転することになつたので、控訴人は右歯科から同歯科が本件係争土地上に設置していた看板を買受けるに至つた。そこで、控訴人は、右看板をぬりかえて自己の営業を表示する看板としたうえ、同年五月一五日本件係争土地上にこれを設置して今日に至つているのであつて、右行為、すなわち本件係争地上に看板を設置した行為は、本件乙地の借地人が甲地上の係争地上に看板を設置し得るとの上述来の慣習を控訴人及び被控訴人が異議なく受け入れ、当事者双方においてこの慣習によるの結果設定した本件係争土地の使用権に基くものである。尤もその後被控訴人等は控訴人に対し本件看板の設置について異議を述べたことがあるが、これはただ看板の脚を被控訴人所有の建物に取り付けていたことに対する異議であつて、本件係争土地を占有することに対する異議ではない(しかして、本件看板の脚は現在アングル柱式になつている)。

以上要するに、本件係争土地につき、控訴人は当事者間において上述来の慣習によるの結果生ぜしめた右土地の占有権原を有するのであるから、被控訴人の本訴請求は理由がない」と主張し、これに対し被控訴人は、「本件甲地及び四四坪七八の土地の所有者たる訴外紀屋が明治、大正の頃右四四坪七八の土地を他に賃貸するに当り、甲地内に前記のような私道を設けたこと」は明らかに争わず、その他の控訴人主張事実に対しては、「その後右四四坪七八の土地のうち公道に面せざる部分の賃借人が右私道を通行して公道に至つていたこと、控訴人が昭和二五年一〇月頃訴外岡野光雄から本件乙地の賃借権を譲り受け、同所でメリツト毛糸店を経営していること(但し、賃借権の譲渡につき土地所有者たる右紀屋の相続人幸島市右衛門の承諾を得たとの点は否認する)、昭和三〇年一月頃甲地の所有者が被控訴人、四四坪七八の土地の所有者が訴外早野良太郎となつたこと、昭和二五年一〇月よりしばらく後から昭和三〇年二月頃まで前記幸島所有家屋の間借人訴外フタバ歯科が本件係争地上に看板を設置していたこと、控訴人が昭和三〇年五月一五日以降本件係争地上にその営業を表示する看板を設置しており、その後この看板の脚を被控訴人等の異議により取付式からアングル柱式に取り替えたことは認めるがその他は争う、右フタバ歯科が看板を出す前に本件係争地に看板を出していた者はなく、また右フタバ歯科が看板を出し得たのは、本件係争地の当時の所有者たる前記幸島等の承諾があつたからであつて、しかも右承諾はフタバ歯科がその賃借建物から立ち退くまでとの期限付であつた。しかして、控訴人は右フタバ歯科の立退後被控訴人に無断で自己が新しく製作した看板を掲げているものである」と述べているので、この点につき考察する。

先ず、控訴人は、右にいう慣習は本件四四坪七八の土地のうち公道に面せざる部分の土地の賃借人と本件係争土地の所有者との間に行われてきたものと主張するところ被控訴人は控訴人の地位は乙地について前賃借人から賃貸人に無断で賃借権を譲受けたものにすぎないと争うのでこの点をみるに、原審及び当審における証人岡野光雄の証言、原審における控訴人本人尋問の結果に成立に争のない乙第五号証、右本人尋問の結果により成立を認めるべき同第六号証を併せて考えれば、控訴人は前賃借人岡野光雄から本件乙地の賃借権を譲り受けるにつき当時の乙地所有者たる上記幸島市右衛門の承諾を得ていたことが認められ他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。そこで次に、控訴人主張のような慣習が存していたか否かをみるに、原審及び当審での証人岡野光雄、酒井田賢一の各証言、原審での証人早野良太郎の証言及び控訴人本人尋問の結果並びに乙第四号証(その成立の真正なることは、原審証人関芳武の証言によつて認める)によれば、本件乙地を含む四四坪七八の土地については、古くから岡野光雄の先代又は岡野光雄がその所有者たる上記紀屋又は幸島からこれを賃借りして同所で楽器店を営み、右岡野において少くとも昭和一七年以前より終戦の頃まで本件係争地上にその営業を表示する看板を設置してきたこと、右岡野は終戦後右四四坪七八の土地中公道に面せざる部分を親戚の者に使用せしめ、右親戚の者が同所でとんかつ屋、しるこ屋等を営むとともに昭和二一年の初め頃より昭和二五年の中頃まで本件係争地上に各その営業を表示する看板を設置してきたこと及びこれらの看板設置に対し本件係争地の所有者が何らの異議をも述べなかつたこと、次いで前記のようにフタバ歯科が昭和二六年二月頃より昭和三〇年二月頃まで右地上にその営業を表示する看板を設置しており、それについては右土地の所有者等がフタバ歯科が賃借建物から立退くまでという期限付でこれを許容していたこと、したがつてフタバ歯科は昭和三〇年二月頃その賃借建物から立退くのに際し看板撤去に種々努めた結果これを撤去したこと等の事実を認めることができる。

右認定に反する原審証人関芳武の証言は、同人が右乙第四号証の作成者であること自認している点からいつてもこれを採ることができず、他に右認定をくつがえす証拠はない。

そこで、右の事実を目して、民法九二条にいう慣習といい得るか否かを考えるに、先ず岡野光雄の先代以後岡野の親戚の者に至るまでの看板設置、すなわち本件係争土地の占有は可成り長期間にわたつてはいるが、これについてはまず右岡野に対する土地の賃貸人は同時に本件係争土地の所有者であつたということに注意しなければならず、次にフタバ歯科については第一に同歯科は控訴人の主張する本件四四坪七八の賃借人でないこと、第二に同歯科に対する建物の賃貸人は同時に本件係争土地の所有者であつたということ、第三に同歯科は看板を設置するにつき特に右設置場所の土地所有者の許可を得ていること、しかも右許可はフタバ歯科がその賃借家屋を明け渡し同所から立ち退くまでという期限付であつたことなどに注意しなければならない。一体民法九二条にいう慣習といい得るためには、ある法的効果を伴う慣行が、ある地域における人間集団又は一定の職業、階級等において、未だ法的確信という程度にまで高まらないが少くともそれらの者にあつて一般的な習俗的規範となつているものでなくてはならない。すなわち、それは、個々の人又は法人間の個別的な法律行為によつて初めて発生せしめられるものではないのである。ところで、いまこれを本件についてみるに、先にみたように、岡野又はその親戚の者の場合は、これらの者が本件係争土地の所有者の意思にかかわらなく当然に看板設置のために占有し得たということはこれを認めるべき的確な証拠がなく、かえつて本件甲地の所有者が同時に岡野に対する本件四四坪七八の土地の賃貸人でもあつたため本件係争地の占有を特に認容したとみられる面が多分にあり、また、フタバ歯科の場合は、全く本件甲地の所有者とフタバ歯科の間の個別的関係としてフタバ歯科の占有権原が生じたにすぎず、要するに控訴人が看板を設置するまでの他の者の看板設置は、慣習といつたようなものではなく、単に岡野又はフタバ歯科という個人と土地所有者なる個人との間の個別的関係により行われてきたものにすぎないと認められるのである。このことはまた原審鑑定人平野晃の鑑定の結果によつても肯認せられるところである。しかも更に民法九二条にいう慣習が法的効果を有するためには、当事者がこれをその法律行為における意思表示の内容として採り入れていること、少くともこれに反対の意思を示していないことが必要である。しかるに本件においては、原審及び当審での証人酒井田賢一の証言及び成立に争のない乙第五号証によれば、被控訴人は、控訴人が本件係争地に看板を設置することにつき反対の意思を有していたことが認められ、原審での控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、その他右認定を左右する証拠はない。しからば、控訴人の主張はこの点においても理由がなく、いずれにしても本件主張は採用することができない。

(二)  次に、控訴人は、「控訴人は上述のように昭和二五年一〇月頃賃借人岡野光雄から本件乙地の賃借権を譲り受けたのであるが、右賃借権には本件係争土地に看板を設置する権利が包含されている」と主張し被控訴人は「前段の事実は認めるが、後段は争う」と述べるところ、右岡野光雄が看板を設置し得た所以については右(一)で判示したとおりであり、したがつて右岡野から控訴人が適法に賃借権を譲り受けたとしても、該賃借権に当然看板設置権が含まれているものでないことは明らかであり、その他控訴人の有する賃借権に右看板権が含まれていることについての特段の立証もないから、本主張は採用の限りではない。

(三)  最後に、控訴人は、「被控訴人の本件請求は権利の濫用である。すなわち、被控訴人は現在控訴人の本件看板の設置により何らの実害を受けていないのに反し、控訴人は本件看板の撤去によりその経営を世間に認識せしめる機会を著しく失い営業上多大の打撃を受けるのであつて、被控訴人の本件権利行使はことさらに控訴人を苦しめんとする不純の動機によるものであり、許されるべきものではない」と主張し、被控訴人はこれを争うので、この点につき考えるに、前記認定の事実に原審での検証及び控訴人本人尋問の結果、当審での証人岡野光雄の証言、成立に争のない甲第二号証を併せて考えると、なるほど被控訴人は本件看板の設置によつて本件甲地上での飲食店経営又は本件私道の通行が直接妨げられるという程でもないのに反し、控訴人は右看板の撤去によりその営業に相当の打撃を受けるであろうということは認めることができる。しかしながら、元来、土地の所有者は公共の福祉に反せざる限りその土地を自由に使用収益処分できるのであるから、その限りにおいては他の者は右所有権を違法に侵害してはならない訳である。いま本件についてみれば本件甲地の所有者たる被控訴人はその前主の方針にも従いその地内の私道を他人所有地の借地人たる控訴人に自由に通行させているのであつて被控訴人が控訴人に対し右私道についてそれ以上の使用権を与えないからといつて公共の福祉に反しているといえないことは明らかであり、他方控訴人こそ上記岡野光雄から本件乙地の賃借権を譲り受けるに際し同所において果して営業を充分に為し得るや否やにつき相当の調査と手配を遂ぐべきであつたにかかわらずこれを充分に為さず、土地所有者に対し看板設置のため本件係争土地の使用につき了解を求める等最少限度の努力すらこれをせず、いきなり土地所有者に無断でその所有地内に看板を設置するにいたつたもので、このようなことは結局許されないものといわなければならない。その他被控訴人の本件権利の行使につき控訴人主張のような不純な動機等を認むべき何らの立証もないから、結局右権利行使を目して権利の濫用ということを得ず、控訴人の本主張もまた採用することができない。

三、そこで、被控訴人が控訴人に対し、本件係争土地上の看板を収去して右土地の明渡を求める本訴請求は正当として認容すべく、これと同旨の原判決は正当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し訴訟費用の負担につき民訴九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅沼武 裁判官 小谷卓男 秋吉稔弘)

<以下省略>

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